Document No.6

 
啓発本などは経験などからくる成果で作者が読者に訴えかけるものだから、その経験を読者が受け止めてしまえばそれでお役御免になってしまう面もあると思う。極論と言えば極論だけど、そう思っちゃうから古本屋に持って行くものが減らなかったり……。
 
こうやって人生の深掘りもしながら神田の古書店を回る。大昔の文学がたくさんある印象も強いこの土地だが、昔の映画のパンフレットなど、サブカルにまつわる貴重な本を扱う書店も多くある。
ふと目に入ったのは、大昔の児童向け月刊誌だった。劇画っぽい男の子が笑顔を向けている表紙が目立つ、今日では怖いという人も多いであろう雑誌――ここから思い出したのは、幼少時代に夢中で読んだ、あるテレビ番組の本だった。最近も同僚にネットの画像を見せたら「穴が開いた翼で飛ぶ戦闘機かよ」「名前は動物だし、変な車だな」と言われたりもした、あの番組の主題歌が頭の中で再生される。
 
♪タロウ、ウルトラマンNo.6!
 
夢中でビデオを見ながらオープニングを歌っていた子どもの自分を親が恥ずかしいと言っていた、思い出深いあの『ウルトラマンタロウ』。ウルトラ怪獣の図鑑も買ってもらって、作品毎の放送順だったり、事典と同じあいうえお順だったりで紹介されている中、『タロウ』のページはこすれるまで読んだ。
リアルタイムで見ていなかった世代だから、当時の子どもがタロウの活躍を児童誌で追いかけていた姿は想像することしかできないけれど、寧ろ後追いした立場だから、気になってしょうがなかったことがある。
 
タロウと戦った怪獣たちのスナップ写真が、番組後半になるにつれ妙に、茶色っぽいモヤと夕方の背景が目立つようになった気がした。
初期の怪獣であるコスモリキッドやタガールなんかの写真は、川や海という水のセットを使った撮影もしていたからか、それこそ東宝の『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』や『ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦! 南海の大怪獣』みたいな明るいイメージがあった。けれど、本放送当時はそろそろ年の瀬を控えていた頃に登場したマシュラあたりからそういう印象が薄れ、今目の前にある古書店のようなシックなイメージが濃くなっている気がしてならなかった。ピッコロ(小)とかカーン星人とかは劇中の場面をモノクロでくり抜いた古臭い写真で紹介されることが多かった分、スナップ写真で紹介される怪獣の方で、シックな印象がより目立ったように思う。
失礼、「(小)」なんて表現、ウルトラ怪獣図鑑を夢中で読んでいたような人間しかピンとこないか……いつもはでかい怪獣が人間大で登場する場面があると、そう記載して紹介されるのがウルトラマンなのです。ちなみにピッコロは、人間大と巨大化した際とで着ぐるみも違ったことも印象的だった。
その印象に反比例して、『タロウ』は物語が進むにつれ、怪獣の個性はより強烈になる。臼みたいな体をしているクセに日本中の餅を意地汚く食い尽くそうとしたモチロン、ご丁寧に鼻を赤くし瓢箪をぶら下げながら酒におぼれまくるベロンなんかは、今でもネットでネタにされている。このイメージのギャップは、いつまでも特撮に興味を持っている人間だから気になるものなのだろう。
そういえば、『タロウ』が放送されていた1973年は、オイルショックで高度成長にも別れを告げた日本が慌ただしかったはず。『タロウ』の制作予算にも影響は出て、その後の『ウルトラマンレオ』も大変だったらしいし、スタッフの苦労と哀愁まで、撮影の合間に撮ったであろうスナップ写真に反映されたのだろうか。
 
過去の本の記憶が頭によぎりながら、東京メトロで国立国会図書館に向かう。最新のウルトラシリーズ書籍では、スタッフインタビューや制作日誌の掘り起こしで新たな情報を載せてくれることがある。何か参考になる情報はないかと、『ウルトラマンタロウ』の特集本の閲覧を希望した。
本の頭に書かれた作品解説は、興味がなかったり長い文章を読むのが苦手だったりすると読み飛ばしてしまうだろう。実際、幼少期の自分もタロウが戦った怪獣の写真だけ追って、解説の文章をまともに読んではいなかった。
ちゃんとそこを読んで、期待通りの情報を得た。ウルトラマンメビウスと共に戦ったGUYSは、過去の地球防衛軍の戦いをまとめたドキュメントを持っていたらしい。自分も、ウルトラ兄弟の六番目であるタロウに近づくドキュメントを手に入れた気になる。
 
この情報に更に近づくべく、今度は小田急にも乗り換え仙川の方に向かった。
大映……と言われても何のことやら、という時代だろう。映画黄金期に存在した会社で、ガメラシリーズを制作したことや、市川雷蔵や勝新太郎らを輩出したことで知られる。ワンマン社長の代名詞・永田雅一の野球好きも相まって、今の千葉ロッテマリーンズの原点の一つにあたる大映ユニオンズという球団も持っていた。そんな大映が持っていたスタジオが、この仙川に存在した。
何故そんなことを調べたのか――それは、世田谷区大蔵にかつて存在した東京美術センターの事情を知ったからだった。これまた映画好きとかでないと知らない場所だが、特撮などの撮影場所として、「美セン」という略称も話題になる。『七人の侍』の野外撮影――所謂オープンセットでの撮影も、後に美センが設立された場所で行われたシーンがあった。
実は、『タロウ』後半の時期にその美センは改装に入ることになった。それを期に特撮マニアには更になじみ深い「東宝ビルト」という名前に改称されたのだが、美センでの撮影をメインにしていた『タロウ』が、改装工事の都合から新たに特撮の撮影場所として選んだのが、この仙川に存在したスタジオだった。
例のスナップ写真の意味が何となく分かった気がした。仙川に移ったことで、スタジオの照明の質だとかも変わってきただろう。ゴジラにイヤミや加山雄三のモノマネをさせた東宝のスタジオでは生まれなかった雰囲気を、ミニチュアと着ぐるみで世界を作る特撮において生み出し、写真に残したのではないか。それは、実際に映像となった『タロウ』という番組のはっちゃけた雰囲気とは趣も異にし、子ども向けの本の中で新たな世界観として分裂したのかも知れない。
 
今や住宅に溢れたこの場所で、今でも手放せない怪獣図鑑の、永久の価値を見直せた気がする――
 
『短編と断片』