告白するROM~論理記者・冴島草作シリーズ~


2001年。この事件は、ある男がモラルとして好ましくないことを行って発覚した。
21世紀になって、知識を持った人間であれば一般家庭でもゲームソフトの中身を見られるようになった。特にカセットタイプのソフトなら、ディスクメディアとは違いコピーガードを重視しなかった時代の産物であるため、ちょっとした機械から簡単にデータを吸い出すことができる。最新ハードも漏らさず揃えるゲーマーの男は、発売から20年も経過したビデオゲームの中身を覗くことを楽しみとしていた。
これを複製し、商品として勝手に売り出したりすれば、当然ながら法律で裁かれることになる。阿漕という言葉では済まされないそんな商売に興味はなく、男はただ、かつて夢中になったゲームがどのように組み立てられていたのか考えながら、プログラムをじっくり眺めることを楽しんでいた。これは、この男だけが行っていたことではない。マイコンという言葉が死語になり始めた頃、パソコンを購入したゲーマーの中には、高度な知識で同様の行為に取り組む者が多数いた。そして、当時はまだ普及が鈍かったインターネットで、同じ趣向を持つ者同士で繋がりを持ち、「ゲームの制作会社に迷惑はかけない」という名目で、そのプログラムの内容を肴に掲示板でのやり取りを楽しんだ。
ある日、男は『金太郎の大決戦』というゲームソフトのROMカセットからデータを吸い出していた。これは、ゲームマックスというハードの対応ソフトとして一九八七年に発売された。カセット側に追加の演算システムを搭載しており、ゲームマックスの性能を超えたゲーム性を実現させたことで知られている。ゲーム機ですらゲームマックスが現役の頃とは比べ物にならない高性能を持つハードが当たり前のように発売されて、ゲームソフト展開のためにディスクメディアがすっかり普及した現在では、ソフト側にハードの機械的な性能を向上させるシステムを組み込むことはかなり少ない。そんな斬新さや、鉞を担いだ金太郎が豪快に戦う爽快感も相まって、現在でも古臭さを感じさせない人気のレトロゲームとして話題に上がる。
男がいつものように、アセンブリというプログラム言語で組み立てられたコードを拝見しようと、『金太郎の大決戦』を機械に差し込んだ。一度だけ、急に吸い出し速度が遅くなったことが気になったが、特にエラーは起こらずに終わったので、とりあえずデータを確認することにした。
データを眺め、悦に浸っていると、一部分だけやたらとプログラムが複雑になっていることに気付いた。吸い出しが遅くなった理由はこれのようだ。確認すると、金太郎が鉞を振り下ろす場面にそのプログラムが組まれている。ゲームの思わぬ仕組みを発見できたのかと思うと、男の興奮は止まらない。
そのデータはテキストだった。しかし、『金太郎の大決戦』はキャラクターの会話などは描かれずにテンポよく戦闘が進むゲームだったから、文字は登場するアイテムの説明などでしか使われていなかったはず。何のテキストだろう……疑問に思いながらテキストを読み、男は戦慄した。
『ダイマツヒデオ ワタシハ ヒトヲコロシマシタ シタイヲウメタバショハ――』

神保町の古書店をいくつか通り過ぎ、私は目的の雑居ビルに到着した。ここに入居している出版社の、銀色のドアをノックする。受付の女性が扉を開き、声をかけてきた。
「あら、松下さん」
「どうも。またいつもの目的だよ」
「冴島さんはもうすぐ戻りますよ。中で待っていてください」
そう。フリーランスという名の風来坊として、世の中の色々な情報を文章にして飯を食っているあの男に、是非推理して欲しい事件があるから、こんな小さな出版社を訪れたのだ。
小さな待合室に案内され、コーヒーをいただいていたら、あの男が戻ってきた。相変わらず丁寧なヘアセットとは程遠いボサボサの短い髪をかき上げ、その男――冴島草作は私の目を見て言った。
「警視庁捜査一課の警部とあろう人が……俺にまた捜査依頼ですか」
「……返す言葉もないよ。すまないな」
冴島草作、33歳。私より十七も若い彼は、犯罪や哲学、果ては映画評論と、様々な分野について「論理的思考」を元に分析し、記事を書いている男である。鋭く、それでいてチャラチャラしているような、捉えどころのない男だが、人間の感情も混ざり合う事件という場であっても、彼は一貫した論理で事件を推理する能力を持っている。私は、とある事件をきっかけに彼と知り合い、その思考力を推理に活かしてもらうようになった。彼のことを表すなら、「推理という行為を考える男」とでもしようか。
私は、冴島に資料を見せた。頭を殴られ、倒れている男の遺体の写真だ。
「ある男の遺体が発見された。ほぼ確実に他殺だ。ただ、最近は職を転々としていたような男で、ちょっと捜査が難航しそうでな」
「信じられないとか思うかも知れないですが、俺も忙しいんですよ。便利屋扱いはやめてください」
「まあまあ、詳細は書いてほしくないが、事件のことを今後の記事の参考にしてもいいんだぞ」
幅広い仕事をしているようで、出版業界で評判が定まらない冴島にとって、こういう事件依頼が多少は刺激になるようだ。尤も、本人は専門ライターとして何か安定して執筆できた方が生活も安定しただろうと後悔しているようだが。つまり器用貧乏というやつだ。
「ひとまず、話を聞きましょう」
目の前のソファーにドスっと腰を下ろし、冴島がその丸い瞳を私に向けた。私は早速、事件の概要を話始めた。
「三日前のことなんだが、部活で夜遅くに帰宅していた学生が遺体を見つけた。夜になると人通りが非常に少ない、民家からも離れた代々木の公園でね。自転車で通ったら、遠くに立ち去る影が見えたそうだ。公園の方に目を向けると、見慣れないものが目に入って、近づいてみたら男の遺体だったと。驚きつつも声をかけた時点では少し息はあったようだが、すぐに消えて、咽を触って脈がないことに気付いたと証言している」
「咽ですか?」
冴島が質問を挟んだ。警察手帳をめくりながら私は答える。
「スカジャンを着て、更に厚手のコートを着ていたから腕をめくるのが面倒だったようだ。まあ、最近は寒さが酷いから、結構な厚着をしていたらしい」
「死因は?」
「石で殴られていた。野球ボールくらいの、おそらく公園の木の下かどこかにあったものだろう。状況から考えて、おそらく突発的な犯行だろうな。所持していた免許証から身元は割れたが、目撃証言についてはさっぱりさ」
「夜中の公園だったら、期待できないでしょうね」
「まあな。そこで君に依頼を持ち込んだ訳だ」
渋い顔をして、冴島は天を仰いだ。
「それで、身元からの捜査は?」
「とりあえず、かなり昔その男が働いていたという会社に、これから向かう予定だ。一緒に来てくれないか?」
少し面倒くさそうに冴島は答える。
「昔だっていうなら、それは今回の事件に関わっている可能性は高くないようにも思えますけど」
警察手帳を閉じて、私は両膝に手を置いた。
「それがだな、この男、実はその会社に勤務していた時、とんでもないことをしていたんだ」
改まった姿勢で言う私を、冴島は眉毛を少し上げて見てきた。

冴島を連れて来たのは、赤坂見附が拠点のゲーム会社だ。発見された遺体――大松秀夫は、25年前まではこの会社に勤務していたことは確認できている。
白い息を吐きながら、冴島が聞いてきた。
「ゲーム制作に関わっていたのに、辞めてしまった訳ですか」
「ああ。彼が辞めてから五年くらいしてから、さっき話したことが話題になったらしい」
「悪ふざけが過ぎますね。ネットの掲示板で話題になったものの、時間が経過し過ぎていたこともあって詳細な捜査はしなかったんですよね」
「メッセージ通りに捜査して、栃木県の山奥で女性の白骨が見つかったのだが、この会社に聞き取りしても、大松が退職してから久しいこともあって行方も追えず仕舞いで、数年経っても捜査は進まなかった。結局、当時は15年だった殺人の公訴時効も成立したという扱いになって、捜査本部も解散したんだ」
大松がこの会社に在籍していた時、『金太郎の大決戦』のプログラムを担当していたことが分かっているが、そのソフトの中に、ゲーム中では一切表示されないメッセージを組み込んでいた。異常とも言えるメッセージ――それは、大松が殺人を犯していたことを自白するものだった。
「十年以上経ってから、このメッセージは見つかったそうだ。お遊びとして目につかない部分にメッセージや画像を入れるという行為自体は、大昔のゲームでは割とあったそうなんだが……」
「ゲーム以外だと、ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』っていうアルバムを思い出しますね。レコードプレイヤーの針は、収録音声の再生が終わるとレコードの内側で永久に回ってしまうという性質を利用して、レコードの一番内側に高周波のおしゃべりが入っていたんですよ」
「それもまた面白い話だな」
「しかしまあ……今回は内容が内容ですね」
「だろ。一般流通するものに犯罪の自白を入れるとは……良識とかリスクとか、全く考えていない行為としか言えないな」
そう言いながら目の前のビルに入る。目的のフロアへ向かうべくエレベーターに乗ると、冴島は私へ質問を続けた。
「白骨死体の方は、身元は分かったんですか?」
「当時の捜査で、大松が当時付き合っていた女性だろうということまでは分かっている。白骨を調べて割り出した年齢とかの情報とも一致したしな」
「だろう、ですか」
「身元を示すものは見つからなかった。素っ裸で山に埋められたらしい。一応、今向かっている、大松が勤務していたゲーム会社の人から、大松と同棲していた女性がいて、『金太郎の大決戦』の制作時期に同棲を解消したという話を本人から聞いたという話は聞けたので、白骨の正体はその女性と見てほぼ間違いないのではないかという話にはなったのだが、親類関係から当たることもできない分、捜査は進まなかったよ。その女性は既に両親などが他界していて身寄りがなく、殺害された時期に捜索願も出されてはいなかった」
「で、大松についても、退職してからの行方を知っている人もいなかったと」
「そうだ。お、このフロアだ」
エレベーターを降り、ガラス張りの自動ドアの隅に置かれた電話の受話器を手に取ると、受付らしき女性が出た。
「はい、ユアエンターです」
「警視庁捜査一課の松下です。持村小百合さんはご在籍でしょうか」
「持村でございますね。少々お待ちいただけますでしょうか」
受話器を戻し、冴島の方を向いた。
「『金太郎の大決戦』の制作に参加していたメンバーの一人が持村さんだ。当時は新入社員だったが、大胆なアイデアで社内でも一目置かれていて、かなりのスピード出世をしたと聞いている」
冴島は腕を組み、「ほう」と感心しながら言った。
そんな話をしていたら、社員の女性が自動ドアの反対側に現れた。年齢は五十を超えていると思われるが、丸くて幼い顔付きと170くらいの長身で、グレーのシャツとクリーム色のチノパンというオフィスカジュアルを決めている。美人と言えば美人だろう。首にかけた社員証をカードリーダーにかざし、自動ドアを開くと、肩まで伸びた髪を揺らして我々に一礼した。
「ご連絡いただいていた……松下警部と、冴島さんですね」
「はい」と答えた私に、女性が名刺を差し出した。
「ユアエンター株式会社、開発二部部長の持村です」
持村に一礼し、私も改めて胸ポケットから身分証を取り出して見せた。冴島も続いて名刺を差し出す。
「冴島草作、フリーライターです。捜査協力で付き添いまして」
「あら、名探偵によくありがちなシチュエーションですね。もしかして冴島さんも?」
少し微笑みながら持村は言った。
「そんなものだと思ってください」
冴島は、威張っているというより、やや面倒くさそうな様子で答えた。捜査協力だとしても、名誉だとかに繋がらないから興味がないのだろう。気にせず、持村は話を続けた。
「推理ゲームの企画も上がっていますから、今回お話しさせていただきながら、参考にでもしようかしら。また話を聞きたいとお話をいただいたのも、冴島さんに鋭い推理を決めてもらうためですかね?」
その口ぶりは、かなりできるキャリアウーマンの意思を感じさせた。かつての仕事仲間が亡くなったことをどう思っているのか――少し読み取り辛い。
話をしていたら自動ドアは閉じていた。持村は再度、社員証をリーダーにかざし、自動ドアを開く。
「セキュリティの問題で、中から開けた後、また外から開けないと、カードが正常に認識しないようになっているんですよ。それではこちらへ――」

案内されたのは小さな会議室だった。椅子に座る前に、まず私から話を始めた。
「既に警察の人間から色々と聞かれたかも知れませんが、改めて腰を据えて、詳しいこともお伺いしたくてですね。大松さんの人となりとか」
「まあ……話せることは」
赤いプラスチックの椅子に腰を下ろすと、持村は手を机の上で組み、話を始めた。
「20年前にゲームの中のメッセージのことで警察の方が来られて、今度は大松さんが亡くなったとニュースになって……もう、悲しいよりも驚いてばかりというのが本音です。大松さんがユアエンターを離れてから久しいですし、失礼ながら感情が沸かないですね」
「それはそうでしょうね」
冴島が口を挟む。持村は口をへの字にして答えた。
「高卒の新入社員ながら抜擢された『金太郎の大決戦』を夢中で作っていた当時は、こんなことになるなんて全く考えもしなかったなあ、という感覚だけで、最近は過ごしているようなものです」
困惑や疲れが混ざったような言い方だ。「ご尤もです」と言って私は警察手帳を開き、話を始めた。
「『金太郎の大決戦』の三人のメンバーで制作されたそうで。意外と少人数ですね」
「昔のゲームはそんな感じでしたよ。HDのグラフィックとかが当たり前の現在は、作業工程も複雑化していますから、当時と比較できないくらい業界は変わっています」
「大松さんがプログラム、持村さんがゲームの内容やコンセプトを決める役割を担っていて、もうお一人がプロデュースなどをされていたとお伺いしています」
「私の担当は、所謂『ゲームデザイン』と言われる部分です。大松さんが仕込んだメッセージが見つかった20年前の時点で、この三人の中でまだ会社に在籍していたのは私だけでした」
「もう一人の方は、『金太郎の大決戦』が発売されてからすぐお辞めになったのだとか」
「佐々木蓮司さんのことですね。これも20年前にお話しした通りですが、ご家族の介護の問題だと言っていた記憶があります」
そちらはそちらで捜査もしているので、ちょっと違う角度で話を聞いてみよう。
「大松さんについて、お話をお伺いできますか?」
「私が入社した時点でもう大先輩だったのですが、プログラマとしては極めて優秀でしたね。当時ゲームで使われていたのはアセンブリ言語というプログラム言語だったのですが、彼は細かいプログラムを難なく組み立てることができる人でした。『金太郎の大決戦』のプログラムが話題になったあの時も、どうしてこういうプログラムになっているのか分からないと、ネット上で言われていたと聞いています。アセンブリ言語は、こういうよく分からないプログラムになりやすいみたいです。私もプログラムの専門家ではないので、詳しくは知らないのですが」
私もその情報は当時の捜査資料から確認している。プログラムの確認が難しいとか、当時は一般家庭でゲームの中身を見られる時代が来ると想定していなかったからといって、自分の犯罪を書き込む神経はやはり理解できないのだが。
「持村さんも佐々木さんも、当時こんなメッセージを仕組んでいたなんて知らなかったのですね」
冴島の質問に、持村が頷いた。
「はい、全く。餅は餅屋、という形で、プログラムのことは任せきりだったんです。しかもまあ、大松さんや佐々木さんとも、退職後には連絡を全く取っていなくて、なおさら事件について驚いてばかりでした」
「そこまで親しいという訳でもなかったと?」
私のこの言葉には、持村は少し眉間に皺を寄せた。あらぬ疑いをかけられるのが面倒なのだろう。
「大松さんも佐々木さんも、仕事の付き合いという感じでした。別に嫌がらせされたということもなく、まともな先輩でしたよ。ゲーム制作については、三人で楽しくやっていたのは事実です」
「楽しくやれる、というのは良いことですね」
フォローするような冴島の一言で、持村の顔が明るくなった。
「ええまあ。こういう業界だから世間の方も何となくお分かりだと思いますが、やはり人を楽しませるものを生み出していくのは大きな喜びがあります。『金太郎の大決戦』は、新人だった私がアイデアを詰め込んで、大松さんや佐々木さんをはじめとした会社側も受け入れてもらえて、とても嬉しかったですね。細かいムービーにだってこだわったんですよ。鉞を振り回す速度だって、パワフルさが評判になって嬉しかったなあ!」
急に夢中になって、彼女はゲーム制作の話を始める。やはり、典型的なゲーム制作者なのだろう。
我に返って、持村は頭をかいた。
「すみません、こんな時にこんな話をすべきではないですね。ただまあ……疑われたくもないから言いますけど、大松さんに対しても、良い意味でも悪い意味でも、特に感情を持ってはいないですね。私自身が大好きなゲーム制作でちゃんと仕事をしてくれる人というくらいで。一緒に仕事をしていたのがかなり前のことだから、こういう薄い印象しかない状況です。覚えていることは……故人を悪く言うのは憚られますが、女性に対しても紳士的ではあったけど、あまり一途だとか誠実だとかいう印象はなかったかな」
「ああ、例の女性のことも、持村さんはご存じだったんですね」
少し体を前に出して聞いてきた冴島を、持村が目を細めながら見た。
「同じ回答を繰り返すようで申し訳ないですが、これも警察の方に言った通りです。仕事の合間に雑談した時に聞いただけで、深堀もしませんでしたが、同棲を解消したとぼやくように言っていたことだけは覚えています。外面はある程度常識人という印象でも、ちょっと誠実ではないのかもと感じたことは、20年前にも話しています」
姿勢を正し、持村は少し苛立った口調で言う。
「これは警察の方に言っていなかったことですが、まあ、正直に言います。自分のデビュー作で気合を入れて作っていたあのゲームに、あんなメッセージを入れていたことは、私としては非常に不愉快です。しかも、自分が専門ではないプログラム制作という部門で、あんな勝手なことをされて……芸術家とかを気取る訳ではないですけど、ゲーム制作には心を込めているんです」
「そういった想いでゲームを作られていたら、確かにそんな気持ちになるでしょうね」
頷きながら冴島が言う。持村が続けた。
「高卒であることを話しましたけど、実を言うと私、学生時代はそれなりに遊んでいましてね。まあバブルの頃で、小遣いがたくさんあったので。悪い遊びもしましたけど、そういう経験が積み重なって、人を遊ばせたいと思ってこの業界に飛び込んだんです。それを受け入れてくれたこの会社には感謝していますし、人を喜ばせるモノを作る喜びに、今は浸っています。だから、大松さんの行いに対してガッカリしたというのは事実です。……あ、だからといって、殺したりなんかしませんよ。誤解しないでください」

持村と別れ、警視庁へ向かう。丸ノ内線で乗り換えがないのは楽だ。捜査一課のフロアに向かうまで、冴島は黙ってポケットに手を入れ、下を向いていた。
「解決の糸口は見つかったかい?」
私が問いかけると、冴島が足を止めた。
「そう簡単には見つからないですよ。昭和の終わりに殺人が起きて、2001年にそれが判明し、更には今になってその犯人が殺される……話が立て続けだし、関連性もまだ読めないですから」
「まあそうか。他の情報も調べてみよう」
捜査一課では、慌ただしく刑事たちが働いていた。奥から出てきた若手刑事――私の直属の後輩である須山武巡査部長が、私たちに気付いて近づいてくる。
「松下警部、冴島さんも一緒だったんですね」
「ああそうだよ。例のゲーム会社の事件を調べている」
須山は、奥の会議室を指さした。
「ゲームを制作に関わった、もう一人の……佐々木さんでしたね。あの人がいらしています」
「わざわざ警視庁に出向いてくれたのか?」
「ええ。近々、私用で久しぶりに東京に出向く予定だったから、それを早めて被害者の葬儀にも参加しようと思ってのことだそうです」
「分かった。冴島君もどうだ?」
顔を上げ、冴島は「行きましょう」と答えた。
会議室の扉を開けると、ソファーに腰かけていた男――佐々木蓮司がすっと立ち上がり、私たちに一礼した。私も一礼し、声をかける。
「佐々木蓮司さんですね。警視庁捜査一課の松下です。わざわざ警視庁までお越しいただき、ありがとうございます」
「いえいえ」
私が手を差し出し、「どうぞ」と椅子に座るよう促すと、佐々木はゆっくりと腰を下ろした。もう還暦は超えているであろう彼は、紺色のコートを重そうに着ている。はきはきとしていた持村とは違い、年相応の疲れた様子が見え隠れした。細かい話も多く引き出すべく、丁寧な口調を心掛け、私は話を始めた。
「20年前からまたこのようにお話をお伺いすることとなって、大変恐縮です」
「私が退職してから、大松さんはあまり人と関わらない生活をしていたそうですね。刑事さんからお伺いしています。私もそうですが、ずっとゲーム制作に携わっている持村君とは全く違う生活をすることになるとは……」
「佐々木さんも、長いこと持村さんや大松さんとは連絡を取っていなかったのですか?」
冴島が質問する。佐々木は頷いた。
「ええ。あのゲームが発売される直前くらいでしたか、母が倒れたことをきっかけに、地元で働くことにしました。母も亡くなって久しいですが、私も年を取ったので東京に戻らず、田舎で居酒屋を営みながらのんびり暮らしていたので、ゲーム業界で働いていた頃の人と連絡を取ることはなかったですね。20年前にしても、大松さんが殺人を犯していたようだということで、警視庁の方が私の田舎に出向いて、話を聞きに来てくださいました」
「なるほど」
そう言って冴島は黙る。私が話を続けた。
「大松さんは、退職後は職を転々としていたそうで、ゲーム会社のような華やかな業界とは程遠い生活だった分、20年前の事件の時も足取りが追えずにいました」
「らしいですね。一緒に働いていた時代は割と派手な生活を好んでいたので、警察の方にその話を聞いて、少し意外に思った部分はあります。先ほど聞きましたが、スカジャンと厚手のコートを着ていたそうですね。ちょっと派手な服をコートで隠すように着ていたというのは、そういう意味で何となく彼らしいかなと思いました。スカジャンは冷たくなって、コートはボタンがとれた状態で着ていたそうだと聞くと……かつての仕事仲間として、少し空しい気持ちにはなります」
「大松さんが殺害したという女性のこと、何かご存じですか?」
私から質問を挟んだ。
「同棲していた女性に対しては、彼と飲みに行った際、ちょっときつめの悪口を聞かされた記憶があります」
「きつめの悪口、とは?」
「うーん……些細なことへの不満だったと思うのですが、具体的な内容は覚えていません。ただ、『気も遣えない女なんて死んじまえ』みたいな、強烈な言葉を混ぜて言っていたのは覚えていて……」
もう少し聞いてみよう。
「他に、その女性のことで大松さんが言っていたこと、覚えていますか?」
「20年前にも言いましたが、喫茶店で知り合って言い寄ったのが付き合うきっかけだったと、大松さんが言っていたような気がします。まあ、割と初対面の人とかへの態度は丁寧な人だし、仕事もやることはやってくれていた人で、大松さん自身、他人への気遣い自体は丁寧でしたから。そういう意味で、モテると言えばモテる人だったかな、という印象はあったかなと」
「なるほど」
やはり、時間が経ち過ぎた中では、佐々木の記憶も薄れているようだ。大松が起こした行動の中でも、あのゲームのインパクトは強すぎる分、警察としてはそこを重点的に調べたいと思ってはいるのだが――

佐々木が帰り、冴島と二人で会議室に残ることとなった私は、ありったけの資料を机の上に広げた。第一発見者からの調書や被害者の写真を眺め、右手で口を押えながら冴島は考え込んでいた。資料の中には、佐々木が持ってきたという『金太郎の大決戦』のカセットもある。
「……なかなか、解決の糸口は見えてこないですね」
ぼやくように冴島は言う。
「流石の冴島君でも、これだけ時間が経って事件を捜査するのは難しいよな。すまんね、コーヒーでも飲んで落ち着いてくれ」
黙ったままの冴島に言ってコーヒーメーカーに手をかけると、ドアの方から声をかけられた。
「あー警部、待って!」
須山が急いで部屋に入ってきた。
「どうもそれの調子が良くないみたいで、今朝なんてコーヒーを注ごうとした瞳ちゃんが火傷しかけたんですよ」
「火傷? なんでまたそんな……?」
「サーバーの注ぎ口がおかしくなっているのか、なんかスムースにコーヒーが流れないんですよ」
「それは困ったな……冴島君、悪いが――」
ふと冴島の方を見たら、彼はじっとコーヒーメーカーを見ながら黙っていた。
「どうした?」
静かに立ち上がった冴島は、資料に目を戻し、指差した。
「松下さん、もう一度、この部分について聞かせてもらえますか」

寒さがより厳しくなってきた。目の前を通り過ぎる人々の息も白い。
警視庁の前の公園でベンチに座っている私と冴島に、紺色のコートを着た男が近づいてきた。
「わざわざすみません、また来ていただいて」
私の言葉に、その男――佐々木は首を横に振った。
「大昔とはいえ、私も事件がどういう結果を迎えたのか、気になりながら用事を済ませていました」
足を組んでいる冴島の左隣に佐々木は座った。その奥の私から、話を始める。
「改めて捜査をしたところ、彼のコートに、飛び散るように血が付いていました。頭からこぼれたわけではありません。冴島君の推理通り、犯人が直前まで着ていたようです」
「そこから……持村君の犯行を示すものが見つかって、自供したと」
佐々木が私たちから目を逸らし、下を向いた。
科捜研で詳細に調べたところ、コートに微量の化粧が付着していることが確認され、裁判所から家宅捜索の令状も取れたため、自宅を捜査することもできた。持村は偶然、町をふらついていた大松と再会したという。食事を共にした記録もあって容疑を認め、逮捕に至った。既に時効となっていた事件のことも聞いてみようと思っていたら、「あの事実」を大松に聞き、衝動的に殺害してしまったと供述している。
沈黙が少し続いたが、改めて佐々木は私たちを見る。
「でも、冴島さんはどうして、殺害される直前まで、大松さんが誰かにコートを着せていたと分かったのですか?」
黙っていた冴島は、右手の人差し指を上に向け、話を始めた。
「ゲームというデジタルなものが関わる事件ですが、私の推理は極めてアナログです。第一発見者の証言だと、スカジャンは冷たかったとのことでした。これは警察から話を聞いていた佐々木さんもご存じですね。幾ら光沢感がある化学繊維で作られているとはいえ、上からコートを着ていたら、冷たくなんてならないでしょう。しかも、第一発見者は犯人らしき影を見ていて、駆け寄った時点で大松さんもわずかながら息はあったのだから、発見されたのは殴られて間もない状況だったはずです。最近の冷え込み具合から、わざわざコートを手に持ってあの公園に来たというのはおかしいですし、犯人がコートを着せたことにも説明がつかない。コートはボタンがとれた状態でしっかり着せられていなかったことを考慮すれば、犯人はコートを着せてもらっていたから、殺害してしまった後、持ち帰る訳にもいかず、改めて大松さんに着せて逃げた、と推理できます」
佐々木は、警察から返却された『金太郎の大決戦』のカセットを胸ポケットから取り出した。冴島が続ける。
「人にコートを貸す――この行為は、男同士では考えられないですし、親類の子どもにもあまり行わないのではないか。そうすると、親しい女性の薄着が気になったから貸していた、と考える方が自然に思えて、持村さんへ疑いを抱きました。佐々木さんの証言からしても、かつての仕事の後輩へ、大松さんならそういう気遣いはするのではないか、とね」
「しかし……それだけで持村君を犯人だと?」
「いえ。それはきっかけです。例の、そのゲームの中に仕込まれたメッセージのことを改めて考えた時に、ふと思いついたことがあったんです」
風が落ち葉を飛ばした。冴島は改めて話を続けた。
「『金太郎の大決戦』は、カセットに演算システムを組み込んでいて、かなり遊びやすいシステムになっていたと思います」
「確かに、そういうゲーム性を目指したいと持村君に言われたし、大松さんからもシステム上の提案を受けました。それでも、限界は色々あって大変でしたけど」
カセットを眺めながら、佐々木は答える。冴島もカセットを指さし、佐々木を見た。
「そこで気になったのが、あのメッセージが見つかった時、鉞を掲げる場面にそれが組み込まれていたことです。持村さんもおっしゃっていましたが、あの場面は迫力を出すべく、キャラクターの動きが鈍くなる演出が組み込まれていました。もしかしたらと思って、ゲームマックスもジャンクショップで購入して、専門家にプログラムを解析してもらったところ、私の推理通り、あの演出は所謂『処理落ち』を故意に起こすことで表現していたことが分かりました。要は、注ぎ口が壊れてコーヒーが注ぎづらくなるような、システムがパンクする状態を、意図的に起こしていた訳です」
メモリのデータ容量やCPUの処理限界を突破することにより、画面の動きが鈍くなったり、データの立ち上がりが遅くなる「処理落ち」。基本的に、これが起きれば予期せぬ誤作動が起きる可能性もあるから、嬉しい挙動であるはずがない。しかし、『金太郎の大決戦』が発売された昭和末期は、ゲームでの演出でも「やりづらい、うまくいかない」ことがいくつもあった。だからこそ、あまり起きてほしくないこともあえて起こすことにより、アイデアを実現していたのだ。
「自分がやろうとしていたことを、実制作を担当した人間は悪ふざけでは済まされないような行為で実行していた。しかもそれを、30年以上の月日が経ってから、偶然の再会で知ることになった――ゲーム制作にプライドを持っていた持村さんは、それ屈辱と感じたのではないか――これと例のコートの件も照らし合わせ、犯人ではないかと推断しました」
ふと街を眺めた。表面上は平和でも、誰も知らない悪意の告白が眠っているのかも知れない。しかし、消えることのないROMのように、記憶だけは残される。警察官として悔しさも抱きながら、佐々木が持つカセットを私も見つめた。
 
『短編と断片』